会社を売る前に、「社長にしかできない仕事」を減らす理由

中小企業では、社長が何でもできる会社は珍しくない。

一番大きな取引先は社長が担当している。

難しい見積りは社長しか作れない。

仕入先との条件交渉も社長。

トラブルが起きれば、最後は社長が何とかする。

経営している間は、それが会社の強さになる。

でも、M&Aでその会社を誰かに引き継ごうとすると、見え方が変わる。

買手が気にするのは、

「この社長がいなくなっても、この会社は回るのか」

だからだ。

社長が優秀なほど、引き継ぎが難しいこともある

例えば、毎年しっかり利益が出ている会社がある。

決算書だけを見れば、良い会社だ。

ところが、その利益の大部分を社長個人の営業力や人脈、経験で作っていたらどうだろう。

買手は会社を買ったあと、同じことを再現できるだろうか。

社長が退任したら、顧客まで離れないか。

見積りの仕方が分からなくならないか。

社内で誰も判断できなくならないか。

経営者としては大きな強みだったものが、

M&Aでは、そのまま引継ぎリスクになることがある。

少し皮肉な話だと思う。

利益を増やすだけが、会社を良くする方法ではない

会社を少しでも良い状態で引き継ぎたいなら、売上や利益を増やすことはもちろん大切だ。

でも、それとは違う改善もある。

例えば、社長しか持っていなかった顧客情報を会社で共有する。

見積りの考え方を整理する。

営業の進め方を他の社員にも移す。

案件の状況を、社長に聞かなくても分かるようにする。

そのために人を増やしたり、システムを導入したりすれば、当然コストはかかる。

短期的には利益が増えないかもしれない。

場合によっては、一時的に利益が減ることもある。

それでも、

「社長がいなければ回らない会社」から「誰かが引き継げる会社」へ近づくのであれば、その投資には数字とは別の意味がある。

DXやAIを使う目的も、そこにある

最近なら、DXやAIを使える場面も増えている。

ただ、

「AIを導入している会社です」

というだけで、M&Aで会社の評価が上がるわけではない。

新しいシステムを入れたこと自体にも、それほど意味はない。

大切なのは、何が変わったかだ。

例えば、社長やベテラン社員しか持っていなかったノウハウを整理する。

顧客とのやり取りや過去の経緯を会社に残し、担当者が変わっても分かるようにする。

見積りや案件管理を、個人の記憶だけに頼らないようにする。

AIでも、CRMでも、業務システムでも、マニュアルでもいい。

手段は会社によって違う。

重要なのは、

個人の頭の中にあった仕事や情報を、会社側へ移していくことだ。

数字が同じでも、買手からは同じ会社に見えない

仮に、二つの会社がどちらも年間1,000万円の利益を出していたとする。

一社は、社長がいなければ主要取引先との関係も、見積りも、仕事の進め方も分からない。

もう一社は、社長が退任しても、社員と仕組みである程度事業を続けられる。

決算書に出ている利益は同じだ。

それでも、買手が感じる不安は同じではない。

M&Aで買手が引き継ぐのは、過去の決算書だけではない。

これから先も続いていく事業だ。

だから、

「今までいくら稼いできたか」

と同時に、

「買ったあとも、その利益を生み出せそうか」

を見ることになる。

社長を弱くする、という意味ではない

誤解してほしくないのは、

「社長は仕事をしない方がいい」

という話ではない。

社長の営業力も、技術も、人脈も会社の大切な財産だ。

問題は、その財産が、

社長本人にしか存在しない状態のままでいいのか。

ということだ。

社長が築いてきた顧客との関係を、社員にもつなぐ。

判断基準を言葉にする。

仕事の進め方を残す。

社長にしかできない仕事を、一つずつ会社でもできる仕事に変えていく。

つまり、

社長を弱くするのではなく、社長の強さを会社へ移していく。

私はこの考え方の方が近いと思う。

会社を売る前だからこそ、コストをかけることもある

会社を売却する予定があると、

「今さら投資しても仕方がない」

と思うかもしれない。

できるだけコストを抑えて、利益を残しておきたいという考え方もある。

でも、M&Aまでに時間があるなら、逆の判断が合理的なこともある。

短期的な利益を少し犠牲にしてでも、属人化を減らす。

仕事を仕組みにする。

必要な人を育てる。

必要ならDXやAIも使う。

そうして、

今の社長から切り離しても事業が続けられる会社に近づけておく。

それは買手が会社を引き継ぐときの不安を減らす材料になり得る。

結果として、会社の評価やM&Aの条件にも影響する可能性がある。

もちろん、属人化を減らせば必ず高く売れるわけではない。

M&Aの価格や条件は、業績、将来性、買手との相性、競争状況、交渉など、さまざまな要素で決まる。

だから、

「DXをすれば企業価値が上がる」

という単純な話でもない。

会社の強さを、社長から会社へ

以前、両津勘吉を経営者として考えた記事で、

「社長が強い会社」と「会社そのものが強い会社」は同じなのか。

ということを書いた。

M&Aを考えると、この問いはかなり現実的になる。

経営している間は、

「自分がいれば何とかなる」

で乗り切れることもある。

でも、会社を誰かに渡すなら、その「自分」がいなくなったあとを考えなければならない。

企業価値を上げるというと、どうしても売上や利益の数字を思い浮かべる。

でも、

誰かが引き継げる会社にしておく。

それも、会社を誰かに渡す前にできる大切な準備だと思う。

そして、そのためにやることは意外と身近なところから始められる。

「社長にしかできない仕事」を、一つずつ減らしていく。

会社を売る可能性があるなら、それも会社を良くする方法の一つだと思う。